きっかけ:引き出しの「backup」と書かれたCD-R問題
古いCD-Rや、昔使っていた外付けHDD・・・大体の人は何かしら手元にあるのではないでしょうか?
「いつかちゃんと整理しよう」と思ったまま、引き出しに入れっぱなしになっているものはありませんか。
私も正直、人のことは言えません。(そもそも光学ドライブがもう手元にない、という別の問題もありますが……)
個人ならまだ「自分の責任」で済みます。
しかし、会社やスタジオが閉鎖すると、デジタルの資料は持ち主ごと宙に浮きます。
クラウドなら支払いが止まった瞬間に消えるし、物理ディスクなら「備品」として処分される。
……どちらも地味に怖い話です。
問題発生:VFXスタジオの歴史が「CDの束」として競売に出ていた
今回の主役はPhil Tippett(フィル・ティペット)です。
Internet Archiveの説明文によると、彼はRay Harryhausen(レイ・ハリーハウゼン)の系譜に連なるVFX史の重要人物です。
『スター・ウォーズ』のストップモーションや『ロボコップ』のED-209、『ジュラシック・パーク』におけるCG恐竜のためのマケット制作などに関わってきました。
その彼が設立したTippett Studioは、カリフォルニア州バークレーを拠点にしたストップモーション&CGエフェクトのスタジオです。
説明文によると、米国法人の2024年の破産を受けてバークレーの物理オフィスが2026年半ばに売却されたとのこと。
Film Storiesの記事によれば、スタジオは2026年8月28日に閉鎖。
数十年分の小道具や記念品、アートが2日間のオークションで売りに出されました。

そして、その「何でも売ります」セールの中にメディア素材が入ったCD-ROMとDVDの巨大なフォルダ(バインダー)が混ざっていたのです。
映画史の一部がラベル付きのバインダー1冊として競売の山に紛れていたわけです。
意外な好転:匿名の誰かが買ってInternet Archiveに上げていた
ただ、この話はそこで終わりませんでした。
清算セールに行ったある人物がそのバインダーを購入し、中身をすべてデジタル化してInternet Archiveにアップロードしたのです。
本名は明かされておらず、説明文の署名は「TippettFan」のみ。
Film Storiesも「匿名の人物」「購入金額は非公開」と報じています。
本人いわく、「この情報の一部はオンラインに存在せず、今後もこの高解像度で出てくることはないかもしれないと気づいた」とのこと。
公開されているのは「重複のない主要な90枚のディスク」の.ISOイメージファイルです。
メタデータによると、公開日時(publicdate)は 2026-09-27 23:04:13(UTC)。日本時間に直すと9月28日の朝8時ごろです。
なぜこれが素晴らしいのかといえば、歴史的資料が「1人の私物」に閉じやられず、「誰でもアクセスできる場所」に移ったからです。
さらにアイテムページの追記によると、これらのディスクはDiscmasterにも登録されており、わざわざ巨大なファイルをダウンロードしなくてもブラウザ上で画像をプレビューできるようになっています。
「約90GB」なのか? → 公開されている数字は49.6GBだった
ここからが検証パートです。
ネタ元となったHacker News(HN)のスレッドでは「CDバインダーから90GBを救出」というコメントが付いていました。
しかし、同じスレッドで別のユーザーが「本当に90GB? Internet Archiveの表示だと合計49.6GBだが」と指摘しています。
気になったのでメタデータAPIを確認したところ、item_size は 53,261,899,948バイト でした。
1024で換算(GiB)すると約49.6GBとなり、ページ上の表記と一致します。
AV Clubの記事でも「49.6ギガ」と記述されています。

つまり「90」というのは容量(GB)ではなく、ディスクの枚数を指していた可能性が高いです。説明文にある「90 key, non-duplicated discs」という表現が、巡り巡って「90GB」に化けたのでしょう。
ちなみにHNでは「90枚のCD-Rなら1枚最大700MBとして約63GBにしかならないはず」という計算も出ていました。
ただ、フォルダにはDVDも含まれていたと説明されています。実際、ファイル一覧には4.2GBの.isoファイルも存在するため、すべてがCDというわけではなさそうです。
なお、メタデータ上で確認できる.isoファイルは85個、さらに.bin/.cueのペアが1組でした。説明文の「90枚」とぴったり一致しない理由はページ上では説明されておらず、現時点では確認できていません。
ボトルネックは容量なのか? → 本当の壁は「権利」と「網羅性」だった
結論から言うと、49.6GBというデータ量は現代のストレージ環境なら「大きいけれど十分現実的」です。本当の壁は容量ではなく、別のところにありました。
1. 権利:「公開されている」≠「自由に使える」
アーカイブのタイトル自体に「unofficial(非公式)」と明記されています。またメタデータを確認しても、ライセンスを指定する項目(licenseurl)は見当たりません。
アップロード者は「公共の利益になる」という信念で公開していますが、それはあくまで個人の判断です。中身は映画のスチル、宣材、メイキング写真など。ディスクという「物理物」を買うことと、内部の「著作権」を得ることは全く別の話です。
HNでも「著作権弁護士に見つかって削除される前にミラーしておけ」といったコメントが散見され、権利面の危うさを感じている人は多いようです。
2. 網羅性:これは「全体」の一部でしかない
説明文によれば、読み取れなかったディスクや、映画の「最終完成版」が入ったディスクはアップロード対象から外されています。
HNには「ISOを見ると、これはスタジオの歴史の一部に過ぎない。制作初期の宣伝リールや制作途中のスチルが中心で、後期のCG作品が多い」という分析もありました。「Tippett Studioの全アーカイブが完全保存された」と捉えるのは早計です。
3. フォーマット:ファイルを開けるとは限らない
説明文には「Internet Archive上では.ISOを正しくプレビューできない場合があり、ダウンロードが必要になることがある」と注意書きがあります。
レビュー欄では、特定の.isoが1997年当時のMacで使用されていた「Apple Partition Map」フォーマットのHFSディスクイメージであり、中身を取り出すのに手間がかかったという報告もありました。
4. そもそも「奇跡的に1人いた」から成立しただけ
一番大きな問題はここです。この救出劇は、オークション会場に行き、バインダーの価値に気づき、自費で購入し、すべて吸い出して説明文を添えて公開した「匿名の1人」の行動に100%依存しています。仕組みによる保存ではなく、完全に「運」です。
次に「匿名の救出者」が現れなかったらどうするのか?
HNのコメントにも「数十年分の映画史が、たまたま1人のファンがバインダーに気づいたから残ったというのは、感動的であると同時に恐ろしい」という声がありました。まさにその通りです。
一方で、博物館や大学のような公的機関が、破産処理の迅速なオークションにタイムリーに介入できるかというと現実的には厳しいでしょう。予算の確保、受け入れ基準の審査、権利の権利処理など、競売のスピード感には到底追いつけません。
個人のスピード感だからこそできた救援ですが、個人には権利関係をクリアにする力も、永続的な保存を保証するインフラもありません。
今回の件は、「個人の機動力」と「Internet Archiveという受け皿」がたまたま噛み合った奇跡的なケースと見るのが最も正確です。
目的別:この件から何を持ち帰るか
今回の教訓を、それぞれの立ち位置に分けて整理してみます。
1. 中身を眺めてみたい人
まずはアイテムページに用意されているストリーミング用mp4をチェックするのが手軽です。ISO内部の画像を見たい場合は、Discmaster でブラウズすれば49.6GBを丸ごとダウンロードする必要はありません。
アップロード者は、特に貴重なディスクのファイル名に「!!」を付けてくれています。迷ったらそこから見ると良いでしょう。ただし、一部のイメージファイルは通常のISOとして直接開けない可能性がある点にはご注意ください。
2. 二次利用したい人(動画素材やブログ画像など)
ここが一番の落とし穴です。 「Internet Archiveにある=フリー素材」ではありません。タイトルには非公式と明記されており、ライセンスも付与されていません。商用利用や二次利用を考えているなら、権利元への確認が必須となります。
3. 自分の作品・データを残したい個人クリエイター
TippettFan氏のアプローチは、個人のバックアップ運用にもそのまま応用できます。
- ディスクの物理保管だけに頼らず、イメージ化(ISO化)しておく
- 複数の場所に分散して保存する
- 「説明文(メタデータ)」を残しておく
特に3つ目が重要です。ラベルに「backup」とだけ書かれたディスクは、未来の自分にとっても他人にとってもゴミと同義です。(私自身への強い自戒を込めて……)
4. 閉鎖や清算を控えたスタジオ・法人の関係者
今回の資料は、債権者への還元の売却品の中に混ざっていました。資産処分が始まってしまってからでは、デジタル資料の行き先をコントロールすることは不可能です。
どこに寄贈するのか、何を出して良いのか。権利関係を含め、スタジオをたたむ前にアーカイブの処理方針を決めておくのが唯一の解決策です。
まとめ:残ったのは、誰かが「拾って、説明を書いた」から
閉鎖したTippett Studioの貴重な資料が、CD/DVDバインダーとして清算セールに出品された。それを匿名のファンが買い取り、ISO化してInternet Archiveへ公開した——。
話題となった「90GB」という数字は、実際には「49.6GB(約90枚のディスク)」の誤認である可能性が高いことがわかりました。そして真の課題は容量ではなく、権利の不透明さ、内容の非網羅性、そして何より「個人の善意と運に依存している」という構造そのものです。
調べていて感じたのは、この一言に尽きます。
「デジタル資料は、誰かが拾い上げ、説明を書かない限り、存在しないのと同じである」

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